お侍様 小劇場

   “真夏の宵に 匂い立つは…” (お侍 番外編 22)
 

 
 猛暑日などという呼称ができたのを“待っておりました”と言わんばかり。ここ近年、それが珍しいことではないかのように、人の体温と並ぶほどもの気温を、定時の天気予報にて“予想最高気温”として報じる、今日この頃の日本列島。こういう形での提示は、あくまでも標準何とかとかいう代物で、芝生の上へと設置した“百葉箱”の中という、瑞々しくも風通しのいいところで測った場合の数値であり。アスファルトからの照り返しも凄まじい、昼間の街なかのあちこちではきっと、40℃以上を軽々とマークしているに違いなく。

 “インフルエンザでも、そこまで高熱が出たら危険だというに。”

 そんな炎天下、何かしらの工事だの、冷房には縁のないバイク便だの、外での仕事に何時間も勤しんでいる方々は、本当に大変なことだろと感慨深くなりながら。陽が落ちてもなお、どこか生ぬるい大気の垂れ込める夜道を我が家まで。矍鑠とした足取りで辿るお人が 約一名。さすがにこの暑さの中、見た目という点で周囲の方々に迷惑をかけかねぬと思うてか、背中までと伸ばされた濃色の蓬髪をうなじ辺りで軽く束ねてのスーツ姿。髪型はそこまで奔放なくせに、クールビズが浸透中の昨今でも、ネクタイも緩めずの融通の利かぬ着こなしは崩さず。だというのに、暑苦しく見えないまま、むしろ妙に凛々しく映るのは。着ているご本人が涼しげなお顔で澄ましているからに他ならず。そうともなると、シャープな線で縁取られた格好の、かっちりした肩や背中の広さへ。実は筋骨充実してますという長身な体躯が、何とも雄々しく頼もしく映えるばかり。やれ振る舞いが紳士的だの、横顔が渋くて素敵だのと。ほどよく脂が抜けての、枯れた印象のする知的なおじさまがお好みらしき、女子高生や女子大生らからの秋波も絶えぬとかいう話だが。周囲がもしかして羨んだとしても、ご当人には意味のないもの。それというのも、この御仁には既に。出会ってからのかれこれ二十年近くもを、様々な波風にも遭いつつ、葛藤もそれなり乗り越えて。それでも解けず解かさずという堅い絆で結ばれた、愛する伴侶がおわしまし。

 「おかえりなさいまし。」

 やっと辿り着いた我が家がそのまま、その愛しき人の待つ処。暖かな燈火が灯された中、笑顔で出迎えてくれたるは、この国ではまだちょっと、予想がなければハッとするかもという取り合わせ。鮮やかな金の髪に宝石のような蒼眼をし、その身の深いところから淡い光が静かに滲んでいるかのような、不思議な白さの肌を持つ、それはそれは玲瓏で瑞々しいまでの美貌の君。淡い色合いのボートネックのTシャツにデニムのパンツという、シンプルないで立ちもよくよく映えるほど。年相応の上背もある、すらりとした体躯の青年…ではあるけれど。家事全般と、華道は雪月流、槍は貫流某派を一通り修めており。御主に恥をかかすまいことをモットーとする、そこいらの若奥様がたには決して引けを取らぬだろう、紛うことなき“良妻賢母”ぶりでもあって。今もまた、今時には珍しく、玄関の上がり框に揃えたお膝をついてのお出迎え。書類を入れたブリーフケースを受け取ると、さぁさお上がり下さいませと、優美な所作にて促して。

  ―― お疲れさまでした、先にお風呂へ入られますか?
      もう遅いですがお食事はどういたしますか? などなどと、

 一日頑張って来た御主を気遣いながら。さりげなくも慣れたる手際、上着を受け取り、ネクタイを受け取り。お次は手首からカフスを外されるのをと、待っていたところが、

 「………? あれは、久蔵ではないのか?」

 クロゼットのある寝室までの廊下の途中。通りかかったリビング、窓辺のソファーに、ころりと横になっている人影があったのを、見落とすことなくのしっかと視野に収めた勘兵衛であり。

 「ええ。」

 別にこの家にいておかしい人物ではないのと、昼間っからのずっとを一緒に過ごしていたせいもあり。七郎次のお返事は、存外けろりとしたものだったけれど。何でまた…勘兵衛がわざわざ立ち止まってまで見とがめたのかも、さすがに判っているようで。

 「剣道部の合宿は、確か今月末までではなかったか?」
 「ええ。」

 それで間違ってませんよと、青玻璃の目許を細めて七郎次が是と応じる。先週末、終業式があった学校からそのまま、部のOBさんが用立てて下さったというマイクロバスに乗り、合宿所とされていた高原のスポーツ施設まで、他の部員の皆様と一緒に向かった筈な、次男坊こと久蔵であり。八月開催の高校生総体、インターハイに出場する代表らのための集中特訓。今年も春の都大会で優勝し、選手に選ばれた久蔵のためのものと言っても過言じゃあないそれではあったが、その割に…当の本人はあまり気乗りしない様子でいたのも記憶には新しく。

 「…まさか脱走して来たのか?」
 「勘兵衛様。」

 言うに事欠いて何をまたと。目許をそれなり眇めまでして芝居がかった御主のお顔へ向け、七郎次がくすすと苦笑を零してのそれから。そちらこそ小出しにしていた真相を明かせば。

 「熱中症ですよ。」
 「熱中症?」

 そのくらいは説明も要らぬが、ならば…具合が悪くなって帰されたのかと。打って変わってギョッとした勘兵衛へ、こちらさんもまた うなじに束ねた金の髪の房、その撫で肩からちらり覗くほど、ゆるゆるとかぶりを振って見せ、

 「他の生徒さんたちがバタバタと、
  練習中に倒れたり気分が悪くなったりしたんですって。」

 どの子も中学時代やもっと前から剣道に親しんでいた、それ相応の体力もある子ばかりだったそうですが。それでもこの暑さには勝てなかったものか、

 「それでなくとも、
  剣道という競技は立ち合い稽古では色々と着込みますからね。」

 何せ竹刀を振るうので。道着に防具にと、結構な装備をがっつり身にまとうため、熱の籠もりようも半端じゃなかろう。そんなこんなで練習中に具合が悪くなった子が何人も出たがため、

 「指導顧問の鉄斎先生が、
  このまま続けても却って体調を崩す者が続出するばかりだろうからと。」
 「それで早めの打ち切りとなった、か。」

 ちょいとずぼらしてか、トレパンをはいたその上へ淡い菫色のシャツという恰好で。けぶるような金色の綿毛に頬を縁取られ、くうすうと穏やかな寝息を刻んで眠っている色白な次男の。何とも安らかな寝顔をソファーに見下ろし。まま、彼は無事だったことを喜ぼうと、複雑な心境そのまま、短い吐息をついた勘兵衛だったのは。この、あまり何かへの関心や興味を抱かぬ青年が、そんな偏りを一気に均さんというほどもの勢いで執着して見せるのが、他でもない、自分の供連れである七郎次へ向けてであるからだ。

 “きっと喜び勇んで帰って来たに違いない。”

 驚かそうと連絡も入れず、いやさ、そんなことさえ考える暇間もなくの一目散。最寄りの駅から、この暑さもものともせずに駆けて駆けて。いや若いもんは元気だねぇなんて、近所のご隠居さんを感心させつつ、この家の前までまっしぐらして。

 『…久蔵殿?』

 いきなりの帰宅で七郎次を驚かせたに違いなく。とはいえ、独りぼっちのお留守番が寂しそうだったおっ母様には、思わぬ幸いにもなったことだろう、なんて劇的な一シーン。…が容易に想起出来た勘兵衛だったらしい。

 “そういう映画がなかったか?”

 名犬何とかでしょうか。年齢がバレるぞ、勘兵衛様。
(苦笑) それはともかく。

 「…。」

 もっとずんと幼い頃からも、およそ子供らしくないほど冷静で落ち着いていた彼だったものが、唯一、含羞んだり甘えたりをして見せたのが、こちらの美貌の青年へ向けてだけ。作為なんてなかった その出逢いの時から既に、小さな剣豪の頑なな心がいかに孤独かを見抜き、くるり包み込んで難なく絆
(ほだ)してしまった、心優しい彼もまた。寂しい生い立ちと苛酷な幼少期を過ごしたからこそ、繊細な機微に敏感で、且つ 尋深い包容力を得たとも言えて。

 「…かわいらしい寝顔ですよね。」

 そちらもやはり、ソファーの傍らに屈み込み。起こさぬ程度の、だが柔らかな温みは伝わろう間近へ手を伸べて。触れないそのまま、愛しい子供をよしよしと撫でる所作をして見せる横顔の、何とまろやかで優しいことか。愛情なぞくれない家へと引き取られ、体に負うた痛みもあったろう、心に受けた深い傷もあったろに、すさんでしまわず純心なままだった君。そのあと引き取られた宗家での処遇の優しさへ、素直に心開いた七郎次であったからこそ、こんなお顔が出来るまでの、豊かな心根を育んだと言えて。

  ―― そして、そんな素晴らしい存在だからこそ

 その素養に誰も彼もが惹かれてしまうのは、もはや自明の理。そんなこんなと思う勘兵衛自身だとて、その立場上、あまりに廉直が過ぎるような単純な人性にはならぬよにと育てられ、人の心を自在に踊らす、様々な手管や駆け引きを習得しているはずが。この彼へだけは…そんな手管のあれこれを、どうしてだろうか繰り出せず、その結果、人生も彼との付き合いも自分の半分しか持たない少年を相手に、何かとお手上げになってばかりいる始末。今だって、

 「…お主、シャツはどうした?」

 見かけ以上に強靭な家人揃いで、冷房はあまり使わないとはいえ、ここ数日の猛暑には、出来るだけ空調に頼れとわざわざ言ってある。それとの兼ね合いがなかろうと、いつもTシャツやインナーの上へ何か羽織っていた、慎み深い彼ではなかったか。今朝もそうであったはずが、薄手のTシャツしか着ていないというのは不審と、今頃になってお声をかければ、

 「ああ、その。えっと…。」

 どうとは言わない七郎次が、流した視線のその先で。くうくう眠る青年が羽織っているそれこそが、見覚えのある彼のシャツだと気がついて。

 「勘兵衛様がお帰りになるまで待ってるんだと申されたので。」

 二階へ上がらぬそのまんま、だのに うとうとし出した彼が、タオルケットまでは要らぬからと言うその代わり、小ぶりなその手でちょこり摘まんだのが…七郎次が羽織ってたシャツの裾であったらしく。これが秋から冬場にかけてなら、毛布の代わりにカーディガンを拝借する格好で、もはや“いつものこと”と化していることでもあるがため。ああまたかという合点がいくのと同時、

 「余程のこと、お主の匂いが気に入っておるらしいの。」
 「あ…えと。/////////」

 不器用な彼ならではの、何と可愛らしい甘え方をすることか。大胆にも抱き着くのは気が引けるけれど、それでも温みはほしいのという、そんな率直な意思表示。何とも控えめでささやかな訴え方が、切ないくらいに愛おしく。そして…こちらはずんと とうのたった大人だからこそ、同じ手で同じよな想いをい抱かせは出来ぬのへ、大人げなくも身につまされてしまう勘兵衛様であるらしく。片や、

 「匂いと言われましても…。/////////」

 特別な化粧水やら整髪料やらは使ってはいない。ただ、勘兵衛の母にあたる大奥様がそうやって手入れをして下さったのでと、ほんのちょっぴりの椿油をよーく伸ばして洗い髪に染ませる程度。長い間の手入れの積み重ねから、身へと染みての体臭と混ざり合ってしまったとしか思えなく。

 「そんなにも奇抜な匂いがしますか?」

 だったら恥ずかしいことと思うてか。床の上へと座り込んだそのまんま、少し降ろした前髪の陰からこちらを見やりつつ、自分の白い手首辺りを鼻先に寄せ、すんと嗅いで見せる子供のような仕草がまた、

 「…何でそうも。」
 「はい?」

 畏
(かしこ)まっての端として凛然とした所作の潔さも麗しく、それでいて…このような無邪気な態度も愛らしいとは、

 「油断も隙もあったもんじゃない。」
 「か、勘兵衛様っ?」

 叱っておいでにしては、何への叱責かが判らないその上、ソファーを覗き込むようにと、軽く身を屈めておられたそこから、御自身もお膝をついての身を寄せて来られ。その懐ろへと掬い上げられたそのまま、そこへ押し込めんとの勢いで ぎゅむと抱きしめられた七郎次には、何が何だか一向に判らなくって。ただ、

 “えと…。////////”

 そちら様こそ精悍な匂いのする雄々しき御方。大きな手のひらが背へと回され、逃がさぬと押さえつけるよに、そこへと伏せられたその熱い感触や。堅い腕での束縛と、それによって頬が埋まるほども密着させられた胸元の頼もしさに。ああどうしようか、かあとお顔が熱くなる。今はまだ、ワイシャツ越しだというのにね。その堅い感触の肌へ、直に抱かれて組み敷かれると、たちまち さぁっと沸き起こる熱を ついつい思い起こしてしまってのこと、

 “わっ、わっ。//////////”

 だから…寝室以外でこうされるのはヤダって、いつも言っておりますのにと。総身が蕩け出しそうになるほどもの、過敏な自分の反応へこそ、こちらはこちらで大きにうろたえていた七郎次だったりし。

  ―― そんな間合いへ、

 「中身は島田のものなのだ。匂いくらいねだっても罰は当たるまい。」
 「…っ☆」×2

 ぎゅむと抱きしめられてた丁度の真横から、それはそれは冷静なお声が立ったものだから。とんだところを観られていたとばかり、親代わりのお二人、思わず“どひゃあっ☆”と身をすくませてしまったとか。

 「きゅ、久蔵。起きておったのか?」
 「…。(頷)」

 こっくり頷くお顔は確かに、目元も表情も冴えたそれ。もしかしたらば…彼の側でも、どこで既に起きていることを表明したものだろかと、丁度いい間合いを待っていたのかも? そしてそして、

 「え、えっとぉ……。あ、そ・そうそう。///////」

 ヘイさんから頂いたブルーベリーのゼリーがありますよ? 昨日、一緒に こし餡の入った葛団子を作ったのですが、作り方をお教えしたお返しにって持って来て下さって。なんとゴロさんが作って下さったんですって。

 「ゼリーくらいならお夜食にもならないでしょから、久蔵殿も食べませんか?」

 などという文言を、つっかえつっかえ紡ぎつつ、自分の身をくるみ込んでた御主の腕を、さりげなくもてきぱきと、引き剥がしてしまった彼であり。それで誤魔化しているつもりなら、ここは乗って差し上げなきゃあ気の毒かしらと。大好きなおっ母様のお顔を立てての寛大にも、うんと頷いて差し上げた、無口だが心の尋は結構広い次男坊だったりし。


  こちらのお宅に限っては、真夏の熱帯夜も何のその、
  互いへの愛しさそれだけで、その眸が眩むほどの大忙しだから。
  たとい星空が覗いたとても、天穹の錦、仰ぐ暇さえないほどに。
  向こうがうらやむ睦まじさにて、
  きっと夏の過酷な蒸し暑ささえ、
  あっと言う間に乗り切ってしまわれるのに違いなく。
  どうかどうか、嫉妬されての涙雨に祟られませぬように……。




  〜Fine〜  08.7.23.


  *囲炉裏端シリーズのお話で弾みがついちゃったのと、
   あまりの暑さに辟易しまして。
   少しでも清々しいネタをと思って、書き始めたのではありますが。
   いつもの彼らと、どこがどう違うのやら。
(笑)

  *とりあえず、
   七郎次さんが勘兵衛様のものだというのは認めているらしき次男坊。
   とはいえ、油断していて泣かせでもしたらば、
   掻っ攫ってゆくつもりであることは、以前にもしっかと表明済みで。
   このっくらいの緊張感は、いっそ暑さよけになって丁度いいかもですねvv


めるふぉvv
めるふぉ 置きましたvv

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